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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第2章

第29回

 クラリスは、ヴィルフォールでの唯一の慰めはレマン湖に行くことだ、とフランソワーズ=ド=ラヴェルダンに手紙で語ったことがある。かの女は疲れたとき、一人きりになって、音楽がない空間に身を置くことによって安らぎと慰めを得ていたのだった。
 ところが、1893年の春になると、湖はクラリスにとって一人きりになれる場所ではなくなった。
 ある日、かの女がいつものように湖に行くと、一人の青年がつりをしていた。かの女は、青年の姿を認めると、彼から離れたところに座った。次の日、かの女は時間を早くしてみた。しかし、彼はすでにつりを始めていた。かの女は時間をいつもより遅くしてみた。結果は同じだった。かの女はそうして何度か時間を変えてみたが、いつも彼の姿があった。とうとう、かの女はレマン湖に足を運ぶのをやめてしまった。
 こうして約2ヶ月が過ぎて、コンクールの季節がやってきた。
 クラリスの同期生、フリッツ=ウィーラントは、2度目のコンクール挑戦であった。2度目までに1位になれないと、作曲コースの籍が消えてしまうため、彼はとても焦っていた。
(ヴィルフォール音楽院の場合、卒業資格を「1位」と表現していた。つまり、「1位」でなければ卒業できないということである。)
 この年、クラリスは初めてコンクールへの参加を許された。かの女の先生であるエリック=ランディは、作曲科の主任教授で、コンクールの審査員たちの決定をある程度覆す力を持っていた。つまり、彼は、ほかの審査員全部が1位と見なした生徒さえ2位に落とすことができる権限を持っていたのである。それゆえ、生徒たちはみなランディ教授のご機嫌を損ねないよう努力していた。しかし、クラリスだけは、いくら努力してもランディ教授の型にははまらなかったのである。
 ヴィルフォール音楽院の作曲科の教師たちは、ほとんどパリ音楽院の作曲科の教授であるアンリ=ロランの教え子たちであった。アンリ=ロランは、フランス風の音楽を追い求めている作風の作曲家であるが、ロランの生徒たちは、フランス風の和声のほか、ワーグナーの和声、ロシア風の音楽・・・と多面的な作曲技法を好む傾向がある。メランベルジェ、ベルナール=ルブランの影響、つまりベートーヴェン風の音楽が基本である、という教育を受けたクラリスにとって、彼らの音楽はかなり異質なものに映った。エリック=ランディの目には、クラリスは保守的な生徒に映っていた。確かに才能はあるのだが、何か越えられない壁の前で立ち往生しているようだ・・・と思っていたフシがある。
『コンクールに参加するのは勝手だが、1位にはなれないものだと思いなさい』ランディ教授は弟子にそう言ったが、実のところは、かの女の壁を取り除くにはどうすればいいのかと心配していたのである。が、弟子の方は、自分が壁の前にいることに気づいてはいなかった。
 1889年に入学したクラリスの同期生はすでに6人に減っていたが、この年最後のコンクールを迎えるのはフリッツ=ウィーラント一人であった。
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