年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第18章

第322回

 そのとき、6頭だての大きな馬車がやってきて、彼らの前で止まった。御者が降りてきて、男に向かって深々と頭を下げた。それから、馬車のドアを開けた。
 馬車の中から、一人の男性が出てきた。目の前の紳士より2~3歳年上くらいだろうか。彼は、男の前にやってきて、すまなそうに頭を下げた。
「5分の遅刻でございます。お許し下さい、チャルトルィスキー公爵さま」
「きみは、時間通りに来たんだよ、ヴォイチェホフスキー」男が答えた。「わたしの用事の方が早く終わってしまったんだよ」
 ナターリアは驚いてこの会話を聞いていた。そして、男の方に目をやった。この人が、あのチャルトルィスキー公爵---名門の貴族の出身で、<彼の思い通りにならないのは、ロシアのツァーリと時間だけだ>とまで言われるほどの政治家---だったとは!
「申し訳ありません、公爵さま」彼はもう一度謝った。
「わたしの用事が予定より早く終わることを予想できる者などおらんよ。きみには責任はないんだ。さあ、行こうか」チャルトルィスキー公爵が言った。彼は、ナターリアの方に振り返り、優雅なお辞儀をしながらこう言った。「お嬢さん、もう一度、今度は正式にお誘いします。馬車に乗っていただけますか? あなたを、このような寒いところに立たせておくわけにはまいりません」
「わたしのことなど、気になさらないで下さい。自分のことは、自分でなんとかできますから」ナターリアは同じ返事をした。
 彼は、小さなため息をついた。「・・・あなたは、音楽が好きなんですね。それは、ヴァイオリンコンチェルトの楽譜でしょう? それなら、こんな提案だったら聞いてもらえるかしら? 実は、来年の1月24日に、ヴァレリアン=ブルマイスターのヴァイオリン=リサイタルがあります。もちろん、あなたも御存知でしょう? そのコンサートのティケットが2枚あります。1枚受け取ってもらえないでしょうか?」
 ナターリアは落胆したような表情を浮かべた。「ごめんなさい。それも難しいですわ・・・。わたしも、そのティケットを売らなければならないものですから・・・」
「ああ、彼らの知り合いなんですね・・・」
 ナターリアは答えなかった。知り合いどころか、そのコンサートでブルマイスターの伴奏をするのは、かの女自身だった。そして、そのブルマイスターの家に行くために、馬車を探していたのである。
「・・・そうでしたか・・・」彼はがっかりして言った。「じゃ、せめて、そのコンサートのとき、黒のロングドレスを着ていただけますか? わたしも、黒い服を着ます。そして、あなたがわたしを忘れなかった印として、右の胸に赤いバラのコサージュをつけて下さい。きっと、あなたには似合うはずです。その姿で、もう一度あなたを見てみたいんです。わたしには、絶対あなただとわかるはずです。・・・約束していただけますか?」
 ナターリアは無理にほほえんだ。「ええ、それだけなら、お約束します」
 彼は、やっとうれしそうにほほえんだ。そして、彼は馬車に乗り込んだ。ヴォイチェホフスキーと呼ばれていた男性は、ちらっとかの女の方を見てから馬車に乗った。御者がドアを閉め、前に乗り込んだ。そして、大きな馬車が動き出した。
 ナターリアは、どういうわけか暖かい気持ちになって馬車を見送った。
 かの女は、公爵の申し出に従ってみてもいいような気がしていた。もう、彼に会うことはないだろう。しかし、公爵の方は、もう一度自分を見るはずだ。そのとき、ステージの上からでも、右側の胸につけた赤いコサージュが目に入るに違いない。約束通り黒のドレスを着ていたら、彼は気がついてくれるかしら?・・・いや、身分が高い人の気まぐれなんか信じまい。彼が忘れていたからと言って、どうなるものでもないのだし・・・。
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