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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第19章

第352回

 当時、ワルシャワの音楽教師たちの間では、<ステファンスキー=システム>と呼ばれる教育法が話題になっていた。
 コンセルヴァトワールにボレスワフ=ステファンスキーというピアノ科の教授がいた。彼は、自分の生徒の中でも初歩の生徒たちには、ピアノを教えるほかに、いろいろな楽器を弾かせ、和声を教え、その知識から生徒本人に一番あった楽器を選ばせた。だから、ステファンスキーの手元に残ったピアニストはみな、優れた伴奏者か、室内楽が得意なピアニストだった。演奏技術だけならほかの教師の弟子たちの方がずっと上だったが、ステファンスキーの弟子たちには、ユニークな存在が多かった。たとえば、ヴァレリアン=ブルマイスター=ヴィエジェイスキー、ヤン=クルピンスキー、ベーラ=リシュジンスキーという三人は、ポーランドでそれぞれの分野(ヴィエジェイスキーはヴァイオリニスト、クルピンスキーは作曲家、リシュジンスキーはチェリストだった)で活躍していた。だが、一番弟子といえば、フランスで活躍している息子のトマシ=ステファンスキーであることは議論の余地がない。トマシ=ステファンスキーは、世界的に活躍している<シャイン=カルテット>の名チェロ奏者であった。不思議なことに、有名になったのはなぜか全員ピアニストではなかった。
 初めのうち、ステファンスキーは一人で全部を教えていた。息子のトマシなどは、彼がすべて自分で教えた弟子の一人である。しかし、弟子たちがそれぞれの分野で有名になったのを見て、彼は弟子たちと協力して子どもたちを教えることにしたのだった。ステファンスキーのピアノの生徒は、ヴァイオリンをヴィエジェイスキーに、チェロをリシュジンスキーに、作曲をクルピンスキーに習うことになった。この協力関係は教師たち相互の間に及んでいた。つまり、作曲をクルピンスキーに習うために弟子入りした子どもは、自動的にピアノとヴァイオリンとチェロも学ぶことになるのである。このやり方を、音楽教師たちは<ステファンスキー=システム>と呼んだのだった。
 ヴィエジェイスキー門下となったシャルロット=チャルトルィスカは、1907年9月の終わりに、3人の教授に引き合わされていた。
 ボレスワフ=ステファンスキーは、シャルロットから見るとかなりの年の老人に見えたが、実際はチャルトルィスキー公爵とあまり変わらない年だった。かの女は、彼を見たとき、とても優しそうな人だと思った。
 彼は、シャルロットとヴィエジェイスキーを中に案内した。
 ちょうどレッスン中で、シャルロットより1~2歳くらい年上の男の子がピアノを弾いているところだった。部屋に戻るとステファンスキーの表情が変わった。彼は、弾いている男の子に向かって怒り出した。男の子はびくびくして弾いていたが、彼のご機嫌が悪いのでさらにミスを繰り返した。
 男の子が帰ると、ステファンスキーは優しい表情に戻った。
「新しい生徒なんだ。今、5歳になる」ヴィエジェイスキーはそれだけ言った。
 ステファンスキーは、シャルロットに訊ねた。
「ピアノを弾いたことはあるかね?」
「あります。でも、習ったことはありません」
「じゃ、ちょっと弾いてみてごらん」ステファンスキーは優しく言った。
 シャルロットはピアノの前に座った。かの女は、ヴィエジェイスキーのほうをちらっと見て---ヴィエジェイスキーは、かの女がいたずらっぽく笑ったのを見た---演奏を始めた。
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