それから3日経った。
バルバラは、隣の部屋から聞こえてくるチェロの悲しげな音色に心を奪われていた。曲は、たいていショパンのチェロソナタだった。かの女にとって不思議なことは、隣の部屋の住人は決して部屋から出てこないということだった。かの女は、どうしても謎のチェリストと会いたいと思うようになっていた。
ガストン=エルスタンが食事を運んできたとき、バルバラは思い切って訊ねてみた。
「ねえ、隣のチェリストはどんな人ですの?」
「男性じゃありません、女の子です」ガストンが答えた。
「女の子? いくつくらいの?」
「わたしと同じくらいの年です。シャルロットという名前だそうです」彼はシャルロットのことを話そうとしたが、何となく話してはいけないような気がして、思いとどまった。この少女が、かの女のことを探っているような気がしたのである。
「かの女は、貴族のお嬢さまなんでしょうね?」バルバラが訊ねた。
「わかりません」ガストンは急に態度を変えた。
彼は、シャルロットに昼食を運んだとき、隣の部屋の女の子がかの女のことを探っているようだ、と話した。
シャルロットは、彼が<探る>という表現を使ったのがおかしくて笑い出した。
「<探る>ですって? わたし、別に悪いことをして逃げているわけじゃないわ!」
二人はそろって笑った。
「・・・そうね、今度誰かに聞かれたら、『あの女の子は、人前には出られないような恐ろしい顔をしている』って言ってちょうだいね」シャルロットはそう言って、また笑った。
ガストンは、いたずらっぽく笑った。「ええ、そうします」
ガストンが出て行った後、シャルロットはチェロを出した。
シャルロットがレシチンスキー伯爵のところに別れの挨拶に言った日、レシチンスキー伯爵はかの女にチェロを譲り渡した。それは、スタニスワフの形見のチェロだった。伯爵は、かの女に向かって、スタニスワフのチェロを見ているのがつらいので、誰かチェロが弾ける人に譲りたかったのだ、と言った。彼を含めて、彼の家にチェロが弾ける人はほかにいなかった。彼は、シャルロットがポーランドを去る決心をしたことを知ると、かの女こそチェロの新しい所有者になるべき人物だと確信し、かの女がこのチェロを受け取ることは何よりもスタニスワフのためなのだ、と説得したのである。そして、彼は、その言葉を聞きながら涙ぐんでしまったシャルロットを慰めさえしたのだった。シャルロットは、<クラコヴィアク>ができたときから彼を知っているが、今の彼は、昔の彼とは明らかに変わってしまっていた。かの女は、スタニスワフの死が人をこんなに変えてしまったのかと思い、彼の息子に対する愛情を今更ながらに感じた・・・。
ところで、スタニスワフは変なコレクションの持ち主だった。彼のチェロのケースの中には、本物そっくりの蛇のおもちゃとか、変装用のカツラやら、音楽とは直接関係ないものがいくつか入っていた。それをそのままシャルロットに渡したということは、レシチンスキー伯爵は、息子の死後、一度もケースを開けなかったのだろう。シャルロットは、スタニスワフのコレクションの中で、見ていて気持ちがいいものでないものは直接見えないように隠した。さすがに、故人のものを捨てる気にはなれなかったのである。
シャルロットが一番気に入ったのは、顔の半分がやけどのように黒くただれている仮面だった。そのやけどの跡は、よほど近くで見ない限り、本物そっくりだった。かの女は、そのマスクをケースから取り出し、顔につけてみた。あまりにもよくできたそのマスクを感心して見つめているうちに、それをつけたまま部屋から出たらどうなるだろう、と思った。ただ、それを実行する勇気はなかった。
そのとき、ノックの音がした。シャルロットは、マスクをつけたままだったことを忘れ、ドアのところまで車椅子を押していった。
バルバラは、隣の部屋から聞こえてくるチェロの悲しげな音色に心を奪われていた。曲は、たいていショパンのチェロソナタだった。かの女にとって不思議なことは、隣の部屋の住人は決して部屋から出てこないということだった。かの女は、どうしても謎のチェリストと会いたいと思うようになっていた。
ガストン=エルスタンが食事を運んできたとき、バルバラは思い切って訊ねてみた。
「ねえ、隣のチェリストはどんな人ですの?」
「男性じゃありません、女の子です」ガストンが答えた。
「女の子? いくつくらいの?」
「わたしと同じくらいの年です。シャルロットという名前だそうです」彼はシャルロットのことを話そうとしたが、何となく話してはいけないような気がして、思いとどまった。この少女が、かの女のことを探っているような気がしたのである。
「かの女は、貴族のお嬢さまなんでしょうね?」バルバラが訊ねた。
「わかりません」ガストンは急に態度を変えた。
彼は、シャルロットに昼食を運んだとき、隣の部屋の女の子がかの女のことを探っているようだ、と話した。
シャルロットは、彼が<探る>という表現を使ったのがおかしくて笑い出した。
「<探る>ですって? わたし、別に悪いことをして逃げているわけじゃないわ!」
二人はそろって笑った。
「・・・そうね、今度誰かに聞かれたら、『あの女の子は、人前には出られないような恐ろしい顔をしている』って言ってちょうだいね」シャルロットはそう言って、また笑った。
ガストンは、いたずらっぽく笑った。「ええ、そうします」
ガストンが出て行った後、シャルロットはチェロを出した。
シャルロットがレシチンスキー伯爵のところに別れの挨拶に言った日、レシチンスキー伯爵はかの女にチェロを譲り渡した。それは、スタニスワフの形見のチェロだった。伯爵は、かの女に向かって、スタニスワフのチェロを見ているのがつらいので、誰かチェロが弾ける人に譲りたかったのだ、と言った。彼を含めて、彼の家にチェロが弾ける人はほかにいなかった。彼は、シャルロットがポーランドを去る決心をしたことを知ると、かの女こそチェロの新しい所有者になるべき人物だと確信し、かの女がこのチェロを受け取ることは何よりもスタニスワフのためなのだ、と説得したのである。そして、彼は、その言葉を聞きながら涙ぐんでしまったシャルロットを慰めさえしたのだった。シャルロットは、<クラコヴィアク>ができたときから彼を知っているが、今の彼は、昔の彼とは明らかに変わってしまっていた。かの女は、スタニスワフの死が人をこんなに変えてしまったのかと思い、彼の息子に対する愛情を今更ながらに感じた・・・。
ところで、スタニスワフは変なコレクションの持ち主だった。彼のチェロのケースの中には、本物そっくりの蛇のおもちゃとか、変装用のカツラやら、音楽とは直接関係ないものがいくつか入っていた。それをそのままシャルロットに渡したということは、レシチンスキー伯爵は、息子の死後、一度もケースを開けなかったのだろう。シャルロットは、スタニスワフのコレクションの中で、見ていて気持ちがいいものでないものは直接見えないように隠した。さすがに、故人のものを捨てる気にはなれなかったのである。
シャルロットが一番気に入ったのは、顔の半分がやけどのように黒くただれている仮面だった。そのやけどの跡は、よほど近くで見ない限り、本物そっくりだった。かの女は、そのマスクをケースから取り出し、顔につけてみた。あまりにもよくできたそのマスクを感心して見つめているうちに、それをつけたまま部屋から出たらどうなるだろう、と思った。ただ、それを実行する勇気はなかった。
そのとき、ノックの音がした。シャルロットは、マスクをつけたままだったことを忘れ、ドアのところまで車椅子を押していった。
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年代記 ~ブログ小説~

総もくじ
年代記 第一部

総もくじ
年代記 第二部

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年代記 第三部

- ┣ *****第3部について*****
- ┣ 第46章
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- ┣ 第48章
- ┣ 第49章
- ┣ 第50章
- ┣ 第51章
- ┣ 第52章
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