FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第26章

第468回

 事故にあったシャルロットは、サン=ジェルマン=アン=レーのサン=バルナベ病院に運び込まれていた。かの女は、事故のただ一人の生き残りであったばかりではなく、同じ車に乗っていたディラン一家とは何の関係もない人物であったこともあり、まわりから好奇心を持ってみられていた。
 担当医は、イアサント=クチュリエに決まった。友人のブリューノ=マルローが、特に彼に頼んだのだった。そして、クチュリエ自身がそれを望んでいた。彼は、かの女が、船で会ったシャルロット=コリエであると思っていた。タデウシ=クルピンスキーの患者でもあるかの女を、ほかの人にまかせたくはなかった。
 しかし、意識を取り戻したかの女の様子は変だった。かの女は、意識を取り戻しても、クチュリエをじっと眺めるだけだった。彼は、優しい言葉をかけてかの女に接したが、かの女の表情は全く変わらなかった。かの女は、記憶だけではなく、言葉まで失ってしまったのだった。かの女のいる世界は、言葉も何もない世界だった。かの女は、笑うことも泣くことも忘れてしまったようだった。
 ドクトゥール=クチュリエは、この難しい患者を、スール=サント=ジュヌヴィエーヴと呼ばれている女性にまかせたいと願った。かの女は、修道女と同じ服を着て修道院で暮らしているが、修道女ではなかった。10年前に看護を専門とするこの修道院にやってきたとき、かの女は自分のことを何も話せない状態だった。修道院長は、かの女を修道女として受け入れるのに難色を示した。かの女が自分の過去について何も話そうとはしなかったからである。名前さえ名乗らないかの女に、修道院長は<ジュヌヴィエーヴ>の名を与えた。いや、その名は、かの女が持っていたバッグに書かれていた名前だった。かの女は、自分の名がジュヌヴィエーヴだったことさえ忘れていたのである。ところが、この修道院で暮らすようになって、かの女はすぐに仕事を覚え、昔から看護の仕事をしていたと思われるくらいになった。かの女は医者たちからも同僚からも患者からも信頼され、<スール=サント=ジュヌヴィエーヴ>という長い呼び名で呼ばれるようになった。本当の年齢はわからないが、かの女は35歳くらいだった。聖女のような優しさとあたたかさをもつこの人物は、なぜか船の中であったシャルロット=コリエと似た雰囲気を持っていた。たぶん、かの女もシャルロットのようにお嬢さまと言われて育った女性だったのだろう、とドクトゥールは思った。
 ところが、かの女は、ドクトゥール=クチュリエの依頼を断わったのである。
「わたしは、特定の患者さん一人だけを見ることはできません。どうか、ほかの人を捜して下さい」
 頭を抱えてしまったクチュリエに、一人の修道女が言った。
「その役目、わたしではだめですか?」
 クチュリエはかの女を見た。スール=コラリィと呼ばれている若い修道女だった。
「わたしにも、それがどんなに難しい仕事になるかわかるつもりです。わたしは、昔、ヴァイオリンが好きでした。ですから、あの女の子がヴァイオリンのケースをしっかりと抱いたまま倒れていたと聞いたとき、わたし、かの女の気持ちがわかってあげられるような気がしたのです。わたしの子どもの頃の名前もシャルロットでした・・・。わたし、15年前は、かの女のような女の子だったと思うんです」
「しかし、本当に難しいよ。あの子は10歳の赤ん坊だ。言葉さえ話せないんだからね」
「そのくらいは覚悟しています」修道女がきっぱりと言った。
 クチュリエはかの女を見つめた。そして、こう言った。「わかった、あなたにまかせよう、マ=スール」
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ