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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第32章

第579回

 それを聞いたシャルロットは、ほんのわずか不愉快そうな表情を浮かべた。
 その表情を見て、ロラン女史ははっとした。かの女は、何かを思い出しかけたのである。
「・・・マドモワゼル=ロラン、その曲が難しいということは度外視なんですか?」シャルロットは不満そうに訊ねた。
「あら、コンクールで簡単な曲を弾くわけにはいかないわ。でも、あなたがみんなを驚かせるのは、ベートーヴェンでではないわ。次のショパンよ」ロラン女史の目が輝いた。「あなたのようにショパンを弾ける人は、少なくてもこの第3区には一人も存在しないはず。あなたのような完璧なレガート奏法を、身につけられる子どもはそうはいないわ。そして、あなたのようにショパンの心がわかる子どもは、ね。あなたは、絶対に、コンクールで優勝するわ」
「・・・第3区で代表になる・・・じゃなくて・・・優勝なんですか?」シャルロットが念を押すように訊ねた。
 ロラン女史はうなずいた。
「あなたは、わたしが才能を見込んだ子どもよ」かの女は自信たっぷりに答えた。「それだけじゃないわ。あなたは、あのサヴェルネ教授が見込んだ子どもだわ。あなたは、絶対に、何か大きなことをするわ」
 シャルロットはほほえんだ。「マドモワゼル=ロラン、サヴェルネ教授はピアノの先生じゃありませんわ」
「じゃ、リヴィエール先生が見込んだ生徒、と言い直しましょうか?」
「リヴィエール先生もピアノの先生じゃありませんわ」シャルロットは笑い出しそうな顔をした。
 ロラン女史は、シャルロットのほほえみを見ているうちに、ずっと気になっていた問いの答えを見いだした。この少女は、かつての親友に似ている・・・クラリス=ド=ヴェルモンに・・・。クラリスのほほえみを見ていると、なぜか心の中まであたたかくなる。この少女のほほえみにも、同じ力があった。かの女を見ていると、自分も幸せな気分になる。しかし、どうしてこのポーランド人の少女が、こんなにクラリスに似ているのだろうか? かの女は、クラリスの娘ではない。親友のナターリア=スクロヴァチェフスカの娘だ。クラリスとナターリアはいとこ同士だが、それほど似ているという印象はなかった。いとこ同士だと言われるまで、まったく気づかなかったくらいだ・・・。
「さあ、マドモワゼル、あなたの答えは? もちろん、コンクールに出てくれるんでしょう?」ロラン女史が、やはりほほえみを浮かべながら訊ねた。
 3人の最上級生たちも、口々にコンクールに出るように勧めた。
 シャルロットの顔がだんだんくもってきた。かの女は、右手のことが気になっていたのである。ここ2~3日、痛み始めてきた手が、今後ますます痛みを増してきたらどうしよう・・・? もし、コンクール当日、さっきのように痛みが我慢できなくなったら・・・? この4人は、出だしの9度の和音で演奏が止まったことを都合よく忘れているようだが、コンクールではそうはいくまい。そういえば、前に誰かがこんなことを言ったことがあった・・・。
『・・・(ムッシュー=ド=グーロワールは、)コンクールの本選で、ベートーヴェンの<オーロール>---外国人のあなたには、<ヴァルトシュタイン>と言った方がいいかしら?---を弾いていて、突然左手が動かなくなってしまったんです。あれがなかったら、彼は1位になれたはずでした。・・・そして、それ以来、彼は姿を消してしまったんです・・・』
 シャルロットは、アンブロワーズ=ダルベールから、親友のド=グーロワールがなぜピアノを続けなかったかという理由を聞いていた。
『・・・彼は、一位になれなかったことを悔やんだことは一度もありませんでした。ただ、あの少年に負けたことを、ずっと悔いていました・・・(少年の)名前はもう忘れてしまいました。もう、10年も前の話ですからね・・・』 
・・・自分も、担任と同じことになりはしないだろうか・・・? いや、それは考え過ぎなのだろうか・・・?
「・・・何か、気になることでもあるの・・・?」ロラン女史が心配そうに訊ねた。
 シャルロットは、いつのまにか下を向いてしまっていたことに気づき、頭を上げた。
《そうよ、この手がこれ以上悪くなると決まったわけじゃないわ》シャルロットはそう思った。
 かの女は、心配そうにのぞき込んでいた先生にほほえみかけた。
「以前、ここに来る船の中で、ある女性にこう言われました。『前へ!』・・・いつでも、前を向いて、前に進みなさい、って」シャルロットが言った。「わたしは、立ち止まりません、マドモワゼル=ロラン」
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