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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第39章

第696回

 ドニ=フェリーは、それからも毎日のように女子寮の大きな木の下に立った。その木の上に、シャルロット=チャルトルィスカの部屋があったからである。彼は、木の下で、はやく病気が治るように祈っていた。彼がそこに立っていることを、何人かの女生徒が目撃していた。校則には、男性は女子寮に近づいてはいけないという規定があるが、かの女たちは彼を黙認していた。かの女たち自身がシャルロットの回復を祈っていたからである。
 ある日、ドニはいつものように木のところにやってきた。珍しいことに、ピアノの音がした。曲は、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアだったので、彼は、シャルロットが演奏していると確信した。いや、たとえどんな曲だったとしても、かの女の演奏は独特だったのですぐにわかる、とドニは思った。彼は、かの女がピアノを弾くくらい回復したのだと思って喜んだ。
 しかし、その喜びは束の間だった。曲がたいして進まないうちに、不自然な不協和音が聞こえた。ミスタッチではあり得なかった。鍵盤の上に両腕を置いたような感じの音であった。彼は、はっとして木の上を見上げた。それっきり何も音がしなかった。
 彼は、最悪の状態を想像した。シャルロットは、具合が悪くなって、倒れてしまったに違いない!
 彼はいても立ってもいられなくなった。彼が選んだのは、木に登ることだった。その結果を考える余裕すらなくして、彼は木によじ登った。そして、かの女の部屋のバルコニーに降りた。窓から、かの女が倒れているのが見えた。彼は、窓ガラスを必死に叩いた。
 しばらくして、シャルロットは気がついた。かの女は、立ちあがると、ふらふらした足取りで窓のところまで歩き、鍵をはずして窓を開けた。
「・・・ありがとう、ドニ」シャルロットがちいさな声で言った。
「ぼくは、来てしまいました。来ずにはいられなかったのです」
「あなたに助けてもらったわね」
「もともと、ぼくが悪いんです。あの日、無理をせずに待っていれば・・・。ごめんなさい、シャルロット」
「あなたを恨んではいないわ」
 ドニは首を横に振った。「ぼくは、あの目を見ました。あの日、別れるとき、あなたはぼくを・・・」
「わたしは・・・許したんです」シャルロットは優しく、というより、元気がない口調で言った。
「ありがとう、シャルロット」ドニが言った。「この言葉を聞けて、ぼくはうれしく思っている。だけど、きみにとっては、とんでもないことなんだよね。ぼくは、ここに来てしまった・・・ぼくは軽はずみだった。へたをすれば、きみは退学になってしまう・・・」
「よしましょう。あなたは、何も悪いことはしていないわ」
「いいえ、ぼくは、取り返しのつかないことをしてしまったんです。ぼくは帰ります。もう二度と、ここへは来ません。ぼくのために、これ以上あなたを苦しめたくありません」ドニが言った。
「わたしなら、大丈夫。だから、あなたは、自分のことだけを考えて」シャルロットは弱々しくほほえんだ。「さあ、帰って」
「帰ります。でも、その前に、ぼくのために、何か一曲弾いてもらえないかしら?」ドニが言った。
 シャルロットはうなずいた。「何がいいかしら?」
 ドニは、バルコニーからもとの木に戻ろうとしていた。「あの美しいラルゲットを、ショパンがコンスタンティアのために弾いたように、ぼくのために弾いてくれますか?」
 シャルロットは窓を閉め、よろよろとした足取りでピアノのところまで歩いた。ドニは、その様子を心配そうに見ていたが、かの女がピアノの前に座ると、木に移動した。
 やがて、ショパンのピアノコンチェルト第2番の第二楽章の演奏が始まった。
 ドニは、木の上でその演奏を聞いていた。いつのまにか、彼は木の上でぐっすりと眠ってしまった。
 彼が起きたとき、あたりは真っ暗だった。遠くで鐘が鳴っていた。彼は、あわてて木から降り、寮に戻った。彼は、寮の門限に間に合わなかった。彼は、門限に寮に戻らなかった理由を説明するのを拒んだ。そして、彼は反省室に閉じこめられて夜を明かした。
 シャルロットに迷惑をかけたくはなかった。何があっても、彼は理由を言うわけには行かなかった。
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