年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第43章

第769回

 一方、イーリスは、急いで研究所に飛び込んだ。かの女があまり青い顔で切羽詰まった表情をしていたので、門番は黙ってかの女を中に入れた。
 イーリスは、建物に飛び込んだとたん、誰かに激しくぶつかり、はね飛ばされた。
 かの女がぶつかった相手の青年もその場に倒れたが、彼は、そのとたん手から落ちた書類をあわててかき集め始めた。イーリスは、あぜんとして青年の栗色の髪を見つめていた。かの女には、かがんでいる彼の頭しか見えなかったからである。やがて、彼は紙をすべて拾ってしまってから立ちあがった。そして、床に倒れたままのイーリスを驚いて見つめ、当惑したように言った。
「・・・ここには、どうして・・・?」
「・・・ああ、そうだったわ」イーリスは、ふとわれに返った。「怪我をした人がいるの。ドクトゥールはどこ?」
「この廊下の突き当たりから二番目の部屋にいますが・・・」彼が言った。「ドクトゥールでなければいけないの?」
「ひどい怪我だと思うの」イーリスが言った。かの女もまた<ドクトゥール>が固有名詞であることを知らなかった。しかし、青年の方は、イーリスのその説明で納得したようだった。
「ひどい怪我、といえば、お怪我はありませんか?」青年が言った。
 イーリスは、またあっけにとられたような表情になった。「ええ、大丈夫よ。でも・・・でも、あなたは、怪我をしているわ」
 彼はうろたえた。「こんなの、怪我のうちには入りません」
「でも、血が出ているわ」イーリスは起きあがり、ポケットからハンカチを出すと、彼の肘に巻きつけた。「わたし、医者じゃないから、こんなことしかできなくてごめんなさい。急がなくちゃ。怪我人がいるの」
「ありがとう、お嬢さん」
「ちゃんと、薬を付けて下さいね」イーリスが言った。そして、かの女は、彼が教えてくれた方角へ一目散に歩き出した。
 そのとき、かの女は気づいていなかった。包帯代わりのハンカチをさすりながら、青年が自分の後ろ姿をじっと見つめていたことに・・・。
 さて、イーリスは、ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーとドクトゥール=ダルベールの二人を連れ出し、パーシュ広場へ戻った。
 シャルロットは、手短に二人の医者に事情を説明した。そして、自分が探してきた<添木>を指さした。
 二人は、フランソワを丁寧に診察し、左足もねんざをしているらしいことを指摘した。そして、二人がかりで曲がった右足をまっすぐに固定し、包帯を巻いた。
 フランソワは、右足を引っ張られた痛みで目を開けた。
「・・・おや、きみは、いつかの・・・?」ドクトゥールは、フランソワに声をかけた。
「まあ、アンシャンを知っているの?」シャルロットは目を丸くした。
「この人は、真っ青な顔をして研究所に飛び込んできて、友達を助けて下さいと言った少年だ」ドクトゥールが言った。「あのときは、別の少年が、飛行機の上で怪我をしていた。今度は、きみがあれに乗ったのかね?」
 ドクトゥールの質問を受け、フランソワはうなずいた。
「全く、きみたち若いのときたら、命を大切にすると言うことを知らないんだから、困ったものだ」ドクトゥールが息子を諭すような口調で言った。その彼でさえ、まだ35歳である。たとえ、自分の半分くらいの年の少年が相手だとは言え、他人を《若いの》という年齢でもない。
 隣に立っていた25歳のアンブロワーズ=ダルベールはくすくす笑った。
「さて、フロイライン、あなたにはもう一つお願いをしてもいいかしら?」ドクトゥールはほほえんだ。「たぶん、誰かが通報してくれたかも知れないが、もう一度研究所に戻って、この火を消すように頼んでもらえないかな?」
 イーリスは、もう一度駆け去った。
「シュリー、あなたは、彼の両親に知らせてきてくれないだろうか?」ドクトゥールがシャルロットに言った。「事故の内容と、彼の怪我の具合をなるべく適切な言葉で伝えて欲しい。ただし、彼のお母さまが卒倒しないような表現でね」
「・・・ぼくには、母はいません」フランソワがつぶやいた。
 シャルロットはびっくりして彼を見つめた。かの女は、彼の母親のことを聞いたのは初めてだった。
「父は、たとえ天地がひっくり返っても驚くような人じゃありません」彼が続けた。
「そうあってほしいものだ」ドクトゥールも小さな声で言った。「じゃ、頼むよ」
 シャルロットも立ち去った。
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