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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第44章

第778回

 シャルロットが疲れていることは、誰の目から見ても明らかだった。かの女は、フランソワ=ジュメールにつきっきりだった。フランソワは、かの女を休ませようとしたが、かの女は聞き入れなかった。
「なぜ眠らないの?」フランソワが訊ねた。
「眠れないからよ」シャルロットはそう言うと、彼の枕元に座った。そして、そこに置いてあった本に手を伸ばした。そして、本を開き、読み始めた。
「《セルジュは、フェリシアンの部屋を訪れた。フェリシアンは、弟の様子から、彼が何か思いつめていることがわかった。彼は、しばらく何も言わずに兄を見つめていたが、やがて、沈黙に耐えられなくなって口を開いた。
『・・・兄さん』セルジュが言った。何か思いつめた調子だった。『ぼくは、眠れない夜を幾晩か過ごした。ぼくは、恋しているんだ』
『かわいそうに』フェリシアンが言った。『恋なんて、苦しむために存在するものだというのに。それでも、恋に捕まってしまったのかい?』
『・・・兄さんは、恋をしたことがないの?』セルジュが訊ねた。
『あるさ。遠い昔のことだけど。ハンブルクに演奏旅行したとき、あるピアニストに恋をした』フェリシアンは、遠くを見つめた。
『別れてしまったの?』
『恋をしてはいけない、と自分に言い聞かせたんだ』フェリシアンが言った。『あのころ、おまえはまだちいさかったし、わたしは、おまえをコンセルヴァトワールに入れるまでは、自分の幸せを追わないことに決めていたんだ。かの女にも、そう言った』
 セルジュが訊ねた。『それで、諦められたの?』
『諦めなくちゃならなかったんだよ』フェリシアンが簡単に答えた。
『でも、本当に好きだったら、諦められるはずはないだろう? 兄さんは、ぼくを口実に使っただけなんじゃないの?』
『諦めなくちゃならなかった。そういうことだ』フェリシアンは、反論を許さないような口調で言った。そう言うと、彼の口調は急に優しくなった。『・・・で、おまえの恋人って、どんな女性なんだ?』
 セルジュは赤くなった。『実はね、名前も知らない女性なんだ・・・。ぼくが知っているのは、かの女が美しい女性だということ、あの窓辺に立つと《ムーンライト=ソナタ》が聞こえるということだけなんだ。とてもすてきな音色なんだよ・・・』
》」
 フランソワは目を閉じた。シャルロットがこの小説を読み始めたのは、前日からだ。だが、彼のために枕元で小説を読み始めてから、これが3冊目の本であった。彼は、病人というより怪我人だった。足を骨折して動けないだけで、健康そのものだったので、彼は寝たきりの生活に退屈していた。そんな彼に、気晴らしにと思ってシャルロットは本を読み始めた。
 今度の本は、オーギュスト=ド=マルティーヌが置いていった本で、作者は彼の実の兄ロジェ=ド=ヴェルクルーズ(ペンネームはガルディアン=ド=マルティーヌ)であった。作品名は《ムーンライト=ソナタ》。もちろん、それはベートーヴェンの有名なピアノソナタ(第14番嬰ハ短調作品27-2)の通称である。
 ガルディアン=ド=マルティーヌは、まだ21歳にしかならないが、すでに小説家として活躍していた。彼はすでに何冊も小説を発表していて、《ムーンライト=ソナタ》は7月に発表されたばかりの最新作だった。彼の小説は、兄弟で同じ女性を愛したり、親友同士が同じ男性を愛するといったテーマを持った恋愛小説が多かった。この小説もその一つで、兄フェリシアンと弟セルジュが、同じ一人の女性を愛してしまうというストーリーに展開していくのだ。
 シャルロットは、彼のために小説を読み始めるまで、彼がロマンティストだということに気がつかなかった。彼の友人たちが彼のために選んだ作品に目を通し、そのほとんどが恋愛小説だったことに、かの女が一番驚いていた。いや、彼のような少年が普段どんな小説を読むのかなどと、かの女が想像したことは一度もなかった。それどころか、彼が本が好きだなどと考えたこともなかったのである。なるほど、こういう人間なら、小説家志望のヴィトールド=ザレスキーとはうまがあったはずだ。二人の共通点は、こんなところにもあったというわけだ。ただ、ヴィトールド=ザレスキーが恋愛をテーマに作品を書いたことは一度もないと聞いていたが。この本の前に朗読したヴィトールドの作品のテーマは<友情>だった。ある男子校を舞台とする、男性だけが登場する物語だった。彼の友人たちがモデルとなったのは明らかだった。シャルロットもフランソワも、ヴォルフガング=ヴェーベルンを思わせる主人公と一緒に笑ったり泣いたりしたものだった・・・。
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