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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第44章

第787回

 シャルロットは、何か異様な物音に気づき、驚いたようにそちらを向いた。それで、舞台の上の演奏者たちは、一斉にドクトゥールたちの方を向いた。
 ドクトゥールは、エマニュエルを抱き起こした。エマニュエルは、真っ青になっていたが、意識を取り戻した。それで、ドクトゥールは、彼のために椅子を用意した。エマニュエルが椅子に座るのを見届けて---より正確に言うと、コンサート=マスターのコルネリウスが指揮者に合図し---指揮者のアグレスール=ベルリオーズは、シャルロットに向かって指揮棒を降ろした。
 コラン=ブルームの第一番のコンチェルトは、ヴァイオリンのソロから始まる。その長いモノローグが終わり、オーケストラと合流するその地点が、指揮者にとってこのコンチェルトの最初の難所である。エマニュエルは、もちろんそのコンチェルトをよく知っていたから、ソリストと指揮者がどういう風にタイミングを合わせるのか緊張しながら眺めようとしていた。ところが、シャルロットが最初の小節を演奏し始めたときから、彼は指揮者として音楽を聞くのをやめた。
「・・・なんだ、これは・・・?」エマニュエルは思わずつぶやいた。彼は、こんなソリストを見たのは初めてだった。シャルロットは、まるでヴァイオリンを自分の体の一部のように扱っている。その音色は、まるですすり泣きだった。こんな風にこのモノローグを演奏するのを聞くのは初めてだ。このひとは、いったいどんな人生を歩んできたのだ、こんなにちいさいのに・・・。彼は、演奏に引き込まれた。かの女のヴァイオリンは、すすり泣き、ため息をつき、悲しみ、苦しみ・・・そして、最後に、愛と希望の歌を歌った。こんなに多彩な表現が一本のヴァイオリンでできるとは、考えたこともなかった、と彼は思った。このひとが、ピアニストだなんて、本当だろうか?
 第二番は、うってかわって優しい音楽だった。彼は、シャルロットを見ているうちに、若い頃の---音楽院にいた頃のクラリス=ド=ヴェルモンを思い出していた。この音楽は、あこがれを表現していた。彼は、作曲科の学生だった年下のブロンドの髪の少女をため息をつきながら見つめることしかできなかった自分のことをも思い出していたのである。それにしても、目の前のあの少女は、なんて昔のクラリスにそっくりなのだろうか!
 彼は、クラリスと自分の間に生まれた女の子のことを思った。生きていれば、あのくらいの年になっているはずだ。たぶん、あんな女の子だったはずだ。彼は、かの女が、音楽院の同期生であったナターリア=スクロヴァチェフスカの娘だということを聞いていた。ナターリアも、あんなふうなきゃしゃな女の子だった。クラリスとナターリアはいとこ同士だというが、当時からそんなに似ているようには思わなかった。その娘も、ナターリアよりクラリスに似ているように見える。不思議なことだ。
 彼は思った。こんな娘が欲しかった。それがかなわなくても、せめて、かの女と一度同じステージに立ちたい。ピアノコンチェルトでもヴァイオリンコンチェルトでも構わない。こんな演奏家と演奏できたなら・・・。
 エマニュエルは、小さなヴァイオリニストに惜しみない拍手を送った。そして、かの女と話がしたいと思い、執事に、演奏が終わったらこの部屋に来るように伝言を頼んだのであった。
 やがて、シャルロットが現われた。かの女は、さっきの赤いドレスを身にまとったままだった。
「いい演奏だった」ドクトゥールがシャルロットに言った。「お客さまだよ、シャルロット。こちらは、指揮者のエマニュエル=サンフルーリィ氏だ」
 シャルロットは、彼の前で優雅にお辞儀をした。「シャルロット=チャルトルィスカです」
「すばらしい演奏だった」エマニュエルは心から言った。
 シャルロットは思わずはずかしそうにほほえんだ。「ありがとうございます、マエストロ」
 エマニュエルは、かの女がほほえんだのを見て、胸がつまった。本当にクラリスによく似ている!
 ドクトゥールは、シャルロットに、エマニュエルの訪問の理由を説明した。シャルロットは、部屋にあったピアノのふたを開けた。そして、<ブリュメール=クーデター>を弾き始めた。
「・・・こんなものでいかがですか?」演奏が終わると、かの女は首をかしげて訊ねた。「クラリス=ド=ヴェルモンの音楽は、あまり、レパートリーがないんです。これから練習することになりますが、大丈夫でしょうか?」
「無料のコンサートだからね。聴衆は、あまりハイレベルな演奏を期待してはいないだろう」エマニュエルはやっと言った。「でも、これだけの演奏ができるなら、当日に期待できるね」
「期待に添えるよう、がんばります」シャルロットはもう一度ほほえんだ。
 彼は、去る前に、シャルロットの耳元でささやいた。
「・・・お嬢さん、コンサートでは、白を着て下さいますか?・・・あなたにはよく似合うはずです・・・」
 シャルロットは、ちょっとびっくりしたような表情をしたが、ほほえんでうなずいた。
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