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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第二部」
第45章

第797回

 シャルロットは涙を拭いた。そして、ドクトゥールにこう言った。
「ヴィエジェイスキー教授は、サヴェルネ教授がわたしにヴァイオリンのレッスンをしたいという希望をまだお持ちだ、と書いてきているの。それについては、近々サヴェルネ教授から何らかの連絡が入るはずだって」
 ドクトゥールはシャルロットに目を移した。「・・・で、グルノーブルに行くつもりなの?」
「手紙によると、サヴェルネ教授は、こう書いてきているそうよ。《・・・わたしがポーランドに行ったのは、ウワデクの遺児に会いたかったからだ。しかし、わたしが病院で出会った少女については、かの女を自分の弟子にと望んでからかの女の名前を聞いたのであって、その逆ではない。かの女が誰であれ、いや、誰の娘ではなかろうと、わたしが弟子にしたいのはあの子だ》」シャルロットは、サヴェルネ教授の言葉を原文通りフランス語で引用したが、その場の全員がその内容を理解していた。「そのお気持ちが本物なら、光栄に思います。ただ、わたしは、正直に言うと、ヴァイオリンの勉強を続けることにそれほど興味はありません」
 二人のポーランド人は驚いた表情になった。
「でも、あなたは、<クラコヴィアク>のブローニャです」弁護士が言った。「あなたがヴァイオリンを続けないのは、ある意味、ポーランドに対する犯罪行為です」
 シャルロットはびっくりしてバラノフスキー氏を見た。
「亡くなられたステファンスキー教授も、あなたがヴァイオリンの勉強をすることを望んでおられたのではなかったんでしょうか?」弁護士はそう続けた。「そのために、彼は、あなたを手放したんですよ」
 シャルロットは小さな声で言った。「どうしてそんな風におっしゃるの? あなたは、伯爵さまの代理人じゃなかったんですか?」
 その言葉を聞くと、バラノフスキー氏は唇をきゅっと結び、こう言った。「・・・そうですね、今のわたしは、<クラコヴィアク>のファンのひとりではなかったんでしたね」
「あなたの本来の居場所は、ポーランドではなく、もっと広い世界だ・・・わたくしたちは、そう思っておりました」ユリアンスキーが言った。「あなたの才能は、ポーランドに閉じこめておくべきものじゃない。世界中の人たちに、希望を与えるために、あなたは旅立ったと、わたくしたちは理解しています。だからこそ、チャルトルィスキー家の使用人たちは、あなたのかわりに公爵夫人を守り、あなたの留守を守っているんじゃありませんか」
 シャルロットはまた涙ぐんだ。「・・・でも、わたしは、もう、ポーランドには戻れないわ・・・。あそこには、わたしのいる場所はないのよ」
「いいえ、違います、お嬢さん」弁護士が遮った。「あなたが失うのは、名前だけです。あなたは、チャルトルィスカを名乗れないだけで、公爵の遺産はすべてあなたのものになります。あなたは、好きなときにポーランドに戻れるし、そこで一生暮らせるだけの財産があります。チャルトルィスキー家の使用人たちは、すべてあなたの味方だし、公爵未亡人は彼らに保護されています」
 そう言うと、彼はシャルロットの肩を軽くたたいた。「ポーランドにおられたときでさえ、あなたはシャルロット=チャルトルィスカであり、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカだった。あなたにとって、名前はそんなに重要な意味を持つものでしょうか?」
 シャルロットは、バラノフスキー氏、ユリアンスキーと順番に見つめた。そのとき、かの女の脳裏に浮かんだのは、息子の方のユリアンスキー---エドゥワルド=ユリアンスキーの言葉だった。
『・・・たとえば、シャルロット=チャルトルィスカでも、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカでも、あなたはあなただったでしょう? ということは、あなたがシャルロット=チャルトルィスカでなくても、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカでなくても、あなたはあなたなんです。いいですか、名前なんて、ただのシンボルに過ぎないんです。一人一人を区別するようにと、誰かが考え出したもので、それは便宜上の手段に過ぎません。あなたが誰であったとしても、公爵さまが愛されたのはあなたです。それで充分じゃありませんか。あなたが誰であっても、みんなあなたが好きなんです。それは、あなたがシャルロット=チャルトルィスカであるとか、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカであるとか、そういうこととは関係ないことなんです・・・』
 シャルロットは、急に心細さを感じた。エドゥワルド=ユリアンスキーに会いたい。彼の口から、もう一度同じ言葉を聞いて安心したい・・・。
「あなたが今後どんな名前を名乗ろうと、わたくしたちのご主人はあなたしかおりません」ユリアンスキーが口を開いた。「あなたがシャルロット=チャルトルィスカであっても、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカであっても、わたくしたちのご主人であったように・・・」
「・・・でも、わたしは、どの名前を名乗ればいいの?」シャルロットは、耐えきれずに泣き出した。「今のわたしは、チャルトルィスキー家の人間でも、スタニスワフスキー家の人間でもないのよ・・・」
 ドクトゥールは、泣いている少女を見つめ、心の中で付け加えた。《・・・そして、ド=ラ=ブリュショルリーを名乗らせることも、ド=ルージュヴィルを名乗らせることもできない・・・。》
 そのとき、ドアがノックされ、執事のマクシミリアン=シュミットが顔を出した。
「お嬢さま、時間です。車の準備ができました」
 ドクトゥールは全員に言った。
「・・・かの女は、これからリサイタルがある。この問題は、明日また話し合うことにしよう。さあ、急ぎなさい、シャルロット」
 シャルロットは涙を拭いて立ちあがり、全員にお辞儀をしてから部屋を出て行った。
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