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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第49章

第877回

 そのとき、マリアンヌは、テオドール=フランクという男性のことを理解してはいなかった。
 彼は、風采の上がらない男性だった。どちらかというと身なりには気を遣わない男性で、茶色の髪の毛は流行よりもわずかに長く、服装にもこだわりが見られなかった。彼がベージュの服を着ると、さらに目立たなくなる。にもかかわらず、彼はベージュの服を好んで着た。普段着とはいえ、流行とは全く無縁の服装である。さらにマリアンヌにとって不愉快だったのは、彼があまり背が高くなかったことである。いや、彼の背が低かったわけではない。マリアンヌが人一倍背の高い女性だったので、かの女にとってたいていの男性はかの女よりわずかに背が高いだけであった。ひょっとするとかの女より背の低い男性さえ珍しくはなかったのである。かの女は、自分の身長を気にしていた。もしかして、自分に気があるように見つめてくれる男性がいないのは、自分の背が高いからではないのか、とまで考えたことさえあった。
 逆に、かの女は同性の少女たちのあこがれの的だった。背が高くてボーイッシュ。かの女たちは、マリアンヌを恋人のかわりに崇拝していたのである。しかし、年齢を重ねるにつれ、少女たちは大人になり、自分たちの本当の恋人に夢中になった。そして、かの女は気がつくと一人きりだった。かの女は、意識して男性風の髪型をし、女性らしくなく振る舞うようになった。彼に会うまでのかの女は、フランソワーズの保護者格の人間だったのである。かの女は、《男性のかわりに》親友を守ってきたのだった。
 彼は、音楽に対してひたむきだった。曲のことをとことん理解しようとし、共演者であるかの女のことを理解しようとした。かの女は、自分のことを彼に話すのはいやだったが、彼は真面目に話を聞いてくれた。
 やがて、かの女自身も少しずつ彼のことがわかるようになってきた。彼は、自分が目立つことを好まなかった。それは、演奏家としては大きな欠点だった。彼は、この演奏会が終わったら故郷へ帰るつもりだとかの女に語った。そして、指導者として後進の育成に携わる仕事がしたい、と。
『ぼくは、誰かのために生きたいんです。誰かを助けることが、ぼくの使命だと思っています』
 そう言ったフランクの横顔を見たとき、かの女は初めて彼に恋をしていることを自覚した。
 かの女は、彼が《一緒について来て下さいますか?》と言ってくれることを願っていることに気づき、はっとした。
 しかし、彼はそうは言わなかった。ただ遠くを見つめているだけだった。
 かの女は途方に暮れた。彼はひとりでベルギーへ帰ってしまうつもりだ。
『・・・そこで、あなたを待っている人がいるのですか?』かの女は知らず知らずのうちにそう訊ねていた。
 彼はかの女の方に視線を戻した。『生徒たち以外に、ですか?』
 かの女はうなずいた。
『ぼくは、天涯孤独の身です』彼はかの女から目をそらして答えた。『そして、恐らく将来もそうでしょう。ぼくにとっては、生徒たちが子どものかわりです』
 そして、彼はもう一度かの女を見つめた。
 今度は、かの女の方が目をそらした。彼の目を見つめる勇気がなかった。そのまま彼を見つめていたら、『ベルギーへ連れて行って下さい』と口走ってしまいそうだったからである。
 彼は何かを言いかけ、口を閉じた。もしかの女が、彼が言いかけた言葉を聞いたら、きっと驚いたことだろう。彼は、まさに『いっしょに来て下さい』と言おうとしていたのである。しかし、彼は言葉を引っ込めた。話の成り行きからすると、その言葉を続けて口に出すことは明らかだと彼自身は思っていた。かの女が目をそらしたということは、かの女は彼からその言葉を聞きたくなかったからだ。彼はそう誤解したのである。
 そんなこととは知らないかの女は、虚しい気持ちを心の底に沈めようと努力していた。
 その日以来、彼の演奏にはこれまでにない優しさがこもるようになった。ひたむきな思いを込め、彼は演奏した。
 かの女には、その思いが通じていた。ただ、かの女には迷いがあった。自分が彼を愛しているから、彼がそう言ってくれているように誤解しているのでは、ともかの女は思った。
 本当のところ、彼の気持ちはよくわからなかった。
 だから、演奏会が終了したあとで彼が食事に誘ったとき、かの女は迷っていたのである。
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