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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第49章

第880回

 フランク夫人はシャルロットに言った。
「あなたは、何も間違ってはいないのよ。間違っていたのは、このわたし」
 シャルロットは顔を上げた。
 しかし、フランク夫人が見つめていたのは、横に座っていた夫の顔だった。
「ごめんなさい、テオ」フランク夫人がかすれた声で言った。「わたしが悪かったわ」
 フランク氏の手が止まった。
 彼は、かの女の目をのぞき込み、左手でかの女の手を握りしめた。背中をさすっていた方の手は、かの女の肩にかけられた。
 そして、彼は何も言わずにゆっくりとうなずいた。その彼の目にも涙がたまっていた。
 シャルロットは、フランク夫人の膝においたままの手を引っ込めた。そして、見つめ合っていた夫妻からゆっくりと離れた。かの女は、そのままサヴェルネ夫人のところまで下がった。
 誰一人声を出すものはいなかった。部屋の中に響いていたのは、フランク夫人のすすり泣きの声だけだった。
「・・・愛していたの、ほんとうは、あのときから、ずっと・・・」フランク夫人は小声で言った。
「知っていたよ」フランク氏がそっと答えた。「ずっと知っていた、だから・・・。だから・・・もう、何も言わなくてもいいよ」
 フランク夫人は、夫の胸に顔を埋めて泣き出した。
 ややあって、フランク氏はかの女にハンカチをさしだした。「泣くんじゃない。みんな、心配するだろう?」
 フランク夫人がそれを受け取らなかったので、彼がかの女の涙を拭いた。
 フランク氏は、顔だけサヴェルネの方に向けた。
「・・・ソフィは、ちょっと疲れているようだ。少し休ませてあげたいんだが」
 サヴェルネはうなずいた。「・・・そろそろ失礼しないと」
 サヴェルネ夫人は心配そうにフランク夫人の方を見、シャルロットに視線を移した。「シャル、楽器を片づけなさい」
 シャルロットはうなずき、ヴァイオリンケースの方に向かった。それから、思い直したようにピアノの前に向かい、譜面台にのせたままの短いピアノ曲を演奏した。
 かの女は演奏が終わると、手早くヴァイオリンをしまい、サヴェルネ夫人の横に立った。
「ありがとう。すてきなプレゼントだった」フランク氏がシャルロットに言った。「本当にすてきなプレゼントだった」
 シャルロットは悲しそうにほほえんだ。
「こんなに心のこもったプレゼントは、生まれて初めてだ」フランク氏が続けた。
 シャルロットは、その調子から、フランク氏が本当に感謝していることに気がついた。
 シャルロットは優雅にお辞儀をし、ドアに向かって歩き出した。
「ありがとう、シャルロット」フランク夫人がその背中に向かって声をかけた。
 シャルロットは立ち止まった。そして反射的に振り返った。
 シャルロットは、そのときのフランク夫人の顔を生涯忘れられないと思った。夫人の表情は、この世の人とは思えないような不思議な威厳と高貴さに満ちていた。かの女は、満ち足りた表情をしていた。もうこの世には思い残すことは何もない・・・そんな人だけが持つ不思議な満足感をかの女はその目に浮かべていたのである。
 シャルロットは、驚きのあまり、ヴァイオリンケースを落としそうになった。
「・・・帰るぞ」サヴェルネがドアのところで言った。
 シャルロットは、はっとわれに返った。そして、優しい口調でこう言った。
「さようなら、マダム=フランク」
 フランク夫人は優しくうなずいた。そして、同じ返事をした。「さようなら、シャルロット」
 かの女たちが《また会いましょう》と挨拶をしたのではないことに、そのとき、その場にいた誰も気づかなかった。
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