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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第52章

第923回

 6月1日は、ミュラーユリュードのバラ祭りの日である。
 その日の朝、アレクサンドル=シャルパンティエの病室に、彼の母親が来ていた。シャルパンティエ夫人は、息子を自分の病院に搬送する許可を求めて研究所にやってきたのである。かの女は、事故当日から、彼を自宅に引き取ろうと考えていた。しかし、研究所内の医師たちは、彼を動かすことに反対しつづけた。いくら話し合いをしてもらちがあかないと考えたかの女は、いったんは引き下がった。しかし、ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーの意識が戻ったと聞くと、直接談判しようと思い、研究所を訪れた。前日は、ドクトゥール自身の調子がよくなかったので、かの女はしぶしぶ戻った。翌日、病人を搬送できるように準備を整えたかの女は、再度研究所を訪れたのである。
 シャルパンティエ夫人は、かつて研究所に附属している病院で看護師をしていたことがあった。夫のアレクサンドルがこの研究所にやってきたとき、かの女も病院に勤務することにしたのである。かの女の夫が<裏切り者>呼ばわりされ、研究所と完全に絶縁状態となって6年たつが、研究所内はかの女がいた頃と全く変わらなかった。二人の研究所代理たちが、あえて変化を望まなかったからである。それで、かの女は、案内なしにドクトゥールの病室にまっすぐに飛び込み、自分の息子を自分の元へ返してくれるようにと直訴したのである。
 ドクトゥールは、アレクサンドルの病室に移ろうと提案した。彼の部屋にいた二人も一緒についていった。
 かの女は、あの事件のあと、研究所の人たちを誰も信じられなくなっていた。一番上の息子が、研究所に行くと言ったとき、絶縁するとまで言いきったかの女であるが、実のところ彼が心配でならなかったのである。それで、息子が事故で大けがをしたと聞いたとき、かの女が最初に思ったのは、<誰かが、彼を殺そうとした>という考えであった。夫を裏切り者と呼び、軽蔑している人たちのことである。何をするかわかったものではないと思ったのであった。
 ドクトゥールはかの女の話を黙って聞いていた。そばにいたダルベールとリオネルは、何か言い返したくていたのだが、ドクトゥールがそれを制していた。かの女はそれにも気づかないほど興奮して話し続けた。
「あなたの言いたいことはよくわかりました、マルグリット。次は、わたしの話を聞いてもらえますか?」ドクトゥールが言った。
「あなたに名前を呼ばれたくはありません」シャルパンティエ夫人が冷たく言った。
「失礼、マダム=シャルパンティエ」ドクトゥールが優しく言い直した。「わたしは、あなたを友達だと思っていたのでね」
「・・・ご存じの通り、今は、そうじゃありませんわ」シャルパンティエ夫人がつぶやいた。かの女は、彼が『思っていた』と言ったのを聞き逃さなかった。
「そのようですね」ドクトゥールも小さな声で言った。「ですが、そう思っていたかったことをわかってもらいたかった」
 その言葉のあとには、沈黙が続いた。
 やがて、沈黙を破ったのはドクトゥールだった。
「事件の当事者で、今、意識があるのはわたし一人だ・・・」
 彼がそう言ったとき、ベッドの方から声がした。
「・・・ドクトゥール、ほかの人は・・・?」
 全員、ベッドの方を見た。アレクサンドル=シャルパンティエは、不思議そうに全員を見つめ返した。
「ほかの人の心配なんかしている場合じゃないでしょう!」シャルパンティエ夫人は、ベッドに駆け寄って息子を抱きしめようとした。「ああ、サンディ!」
 アレクサンドルは、「大丈夫だよ」と口の中でつぶやいた。
 ドクトゥールは、うれしそうに彼を見つめた。「意識が戻ったんだね」
「意識が・・・戻った?」アレクサンドルには、まだ状況が飲み込めていなかった。
「あの事故が起こって、今日で3日だ。今日は、6月1日だ」ドクトゥールが言った。「そして、当事者の中で意識があるのは、たった今、きみとわたしの二人になった。わたしは、今、きみのお母さまに、状況を説明しようとしていた」
 アレクサンドルは、もう一度さっきの質問をした。
「ドクトゥール、ほかの人は?」そして、その表情がくもった。「・・・彼らは、死んだんですね?」
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