FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第54章

第968回

 午後1時ちょうどにコンサートは始まった。
 最初に演奏することになっていたフロランス=クールゾンは、落ち着き払った様子でステージに現われた。かの女は、黒いドレスを身にまとっていた。黒い髪をしているかの女が黒のドレスを着るのは珍しいことだったが、パトリックのために黒を着たのだろうと皆は思っていた。あとになって、何か思いつめたような表情だったと振り返った人もいたが、そのときには単に緊張しているのだろうくらいにしか思われなかった。かの女が演奏したショパンのプレリュードは、かの女のこれまでの演奏の中でも最高のうちの一つ、といっていい出来だった。演奏を終えて立ちあがったとき、かの女は泣いていた。しかし、かの女の涙の本当の理由を知るものは、誰もいなかった。かの女は、自分の出番が終わると、気分がすぐれないという理由で、控え室に閉じこもったきり、一歩も出てこなかったのである。
 シャルロットは、プログラムの前半は、観客に混じって演奏を聞いていた。かの女は、ドクトゥール=ダルベールと並んで座っていた。もし、かの女が演奏会の方に気を取られていなかったら、彼が何かを隠していることに気がついたに違いない。
 彼は、かの女が眠っているうちに起こった出来事にかなり衝撃を受けていた。ミューズ=ジョベールは、研究所の屋上から飛び降り自殺を図り、ほぼ即死だった。リオネル=デルカッセは、かの女が飛び降りた本当の理由を、その場に集まった研究所員全員の前で正直に話した。そして、ドクトゥール=ダルベールを問いつめた。
『ぼくとシュリーさまのことを誤解するなんて、よほど思いつめていたんだね、マドモワゼル=ジョベールは。誤解されるようなことをして、すまなかった』ドクトゥール=ダルベールはしらを切ることにした。『ぼくは、かの女を赤ん坊の頃から見ている。15も年が離れているから、妹と言うよりは、娘みたいなものだと思っているんだ。ぼくはフランショーム一族で、かの女に対して報われない恋だの何だのっていう噂があることは知っているし、その情報源は、ほかならぬぼく自身だ。だいたい、そんなの、冗談にきまってるだろう? 真に受けるなんてどうかしているよ、リオネル。きみだって、ぼくがどういう人間か知っているだろう?』
 研究所のほとんど全員がその説明に納得したように見えた。
『・・・これに懲りたら、今後は真面目に行動したまえ、アンブロワーズ』ドクトゥール=マルローが全員の前で説教し、その場はおさまった。
 それでも、彼は、ドクトゥール=マルローを含む何人かだけは彼の言葉を真に受けていないことに気づいていた。
 ただ、彼は一つだけ大きな誤解をしていた。ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーは、何もかも知っていて、気づかぬふりをし続けていた。ドクトゥールは、彼がドクトゥールに対して持っている愛情以上のものを彼に対して持っていた。本当の息子以上に愛している青年を、どんな理由があっても非難して追い出すことなどドクトゥールにはできなかったのだ。それは、彼を弟のように愛し続けていたドクトゥール=マルローにとっても同じことだった。
 そんなこととはつゆ知らぬ彼は、苦悶し、今後はもっと慎重に行動しなければいけないと思いながらその場に座っていたのである。もし、ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーに本当のことを悟られたら、研究所にはいられないような気がした。今後は、あの注意深いドクトゥール=マルローにさえ自分の気持ちを悟られるようなことがあってはいけない。でも、かの女が隣にいるのに、本当にそんなことが可能なのだろうか?
 それは、シャルロットが仮眠を取っている間のできごとだった。彼は、かの女が何も気づかないまま研究所から出るように気を遣い続けた。コンサート前だということもあり、研究所のほとんど全員が彼と同じことを考えていたので、かの女は何も気づかないまま研究所を出てきたのである。
 彼は上の空でコンサートを聴いていた。シャルロットが、そろそろ準備をしなければならないから車椅子を押して欲しいことを知らせようと袖を引っ張るまで、彼は考え事を続けていた。
「・・・今日は、何か変よ、ドクトゥール=ダルベール。何を隠しているの?」シャルロットは彼の目をのぞき込んだ。
 ドクトゥール=ダルベールは、真っ赤になって顔を伏せた。「別に、何も・・・」
 そう言って、彼はかの女の後ろに回り、車椅子を押し始めた。
「嘘よ。絶対、何か隠しているはずよ」シャルロットは甘えたような声で言った。「ねえ、教えて、いったい何を・・・?」
 その言葉は途中で途切れた。
 屋敷の入り口に、燕尾服を着てヴァイオリンを持った赤毛の少年が立っていた。その少年は、どこかすねたような、どこか他人行儀な冷たいほほえみを浮かべ、二人を見ていた。
 シャルロットは、はっと息をのみ、目を丸くした。「・・・あなたが隠していたのは、これね、ドクトゥール=ダルベール・・・?」
 ドクトゥール=ダルベールの足もその場で止まった。その人物がそこにいるのは、彼にとっても意外なことだった。
 シャルロットは、少年に声をかけた。「あなたは幽霊なの? それとも・・・?」
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ